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キミキス:続・purerouge雑感その3

■08年3月31日
最初に言っておきます。この文章はpurerougeを製作者に対する私なりの結論であってファン同士でいがみ合ったりするためのものではありません。ただ私が強く想う主観だということで、コメントなどに返信したりするつもりもありません。ご了承下さい。

今回は光一ルート総合編。どうすれば視聴者は納得したのか、もしくは彼、彼女はどうしてこんな行動をしてしまったのか。そしてpurerougeから追加された設定は果たして本当に機能したのか。その辺を解体してつつ、この物語のテーマである「別れ」をどう描けば良かったかを私なりに分析してみました。相変わらず長文ですけど勘弁してネ!



■真田光一
光一は原作通り初恋の女性はまおねーという設定を上手く使うべきでした。物語の中での三角関係というのは基本的にどちらも好きであるから成り立つと思います。この場合、光一はゆーみとまおねーをどちらも好きであるべきだったのですが何故か1クール目はゆーみにベタ惚れでまおねーは眼中になく、2クール目まおねーが好きになった途端ゆーみの事を好きである感情がほとんどなくなっています。最後までゆーみとまおねーどちらを選ぶのかを視聴者に分からなくさせるべきだったんですけどねぇ。とにかく一番大切な

「光一がゆーみを好きなのは痛いように分かるが、それ以上にまおねーが好きになってしまったんだね」

というテーマが視聴者に伝わってないのが問題なのでは。そもそも光一は、まおねーがフランスに行ってたった2年会わなかっただけなのにその存在すら忘れるような人間ですから、その時点で設定というか脚本がおかしいと思います。。最低でも中学時代はぶっ飛ばすべきだったんじゃないかなぁ。メガネのガリ勉イベントを出したかったのかもだけど、フランスに行っちゃってるから高校受験の意味ないし…。つーわけであの最終回で納得できるように光一の設定をいじってみます。

●光一は幼少のまおねーに恋をしており、それがきっかけでフランダースの犬の最後を変える事を誓った。
●その思い出を元に、光一は本編冒頭からしっかりと小説などを書き夢に向かってがんばっている。
●まおねーがフランスに行ったのは小学6年生ぐらい。最低でも5年の年月が過ぎている。
●もう敵わないと思った初恋、それを忘れ出した頃に出会ったゆーみに恋をする。
●そんな時に現れる初恋の人まおねー。その姿は思い出のまおねーよりももっと美しくなっていた。
●ゆーみの事が今は好き。でも久しぶりに会った初恋の人も気になって仕方ない…。

私が思うに本編冒頭からから光一がまおねーとゆーみの間で揺れ動く様があればラストでのあの展開にも頷けるんです。でもあのラストにはこういうバックボーンがないので、遠くに行くゆーみよりも近くにいるまおねーを選んだとしか思えなくなっちゃうんですよねー。ゆーみを振る時すでにゆーみの事を好きではなくなっていたのではなく、ゆーみも好きだがそれ以上にまおねーが好きだったと思わせてくれるまでの過程が全編に渡って存在しないので、光一が単に心変わりしてしまっただけな感じになってるんだと思います。最終話あたり、ゆーみと一緒に行動してるのにまおねーの事ばかり気にかける光一は正直見てて痛々しかったです。あれは人として最低だよなぁ。さらに言いますと、物語のクライマックスでゆーみを振りその足でまおねーに告白しに行くのではなく、5〜6話ぐらいの期間を得てまおねーに告白するのが物語としてベスト。さすがに展開が早すぎるというかこの辺りは全然リアルでもなんでもないのが逆に痛いです。学園祭の花火をバックで最終回を迎えたいのは分かりますが、学園祭は光一とゆーみの破局イベントとして18〜19話辺りで決着をつけ、最終回はクリスマス辺りでよかったのでは。ゆーみと別れ光一が苦悩する時間が余りに短すぎるのが問題だと思います。学園祭で終わらせないとゲーム版と違ってしまう?ご冗談を。最初から全部違うなら、ラストだって物語が一番上手く機能するように改変するべきでしょう。

まとめると光一のキャラに視聴者が入り込めなったのは、1クール目と2クール目の彼の人格がまるで別人であったことです。
もうちょっとキャラの思考に統一感を出せていればなぁ。ホント、光一に至ってはキャラ作りが最悪だったとしか思えません…。




■水澤摩央
このアニメ化で一番損な役割を押付けられた可愛そうなキャラがまおねー。声を演じられた池澤春菜さんが可愛そうすぎる!
彼女の設定で最も意味のわからないのが「フランス帰り」。

日本の大学に行きたいため、せめて高校3年生ぐらいは日本で勉強したい。だから先に日本に帰ってきた

というのがまおねーの基本設定です。
ですがこれに納得できるのは、まおねーがフランスに行った時が最低でも中学生もしくは小学生の頃であるべき設定なのでは。

自分一人では生活できないから渋々親と共にフランスに行ったが「やはり日本に帰りたい!」という想いと年齢が追いついた為に、ようやく日本に帰ってくることが出来た。

これなら納得できます。
日本の大学に行きたいなんて3年生になってから駄々をこねるぐらいなら中学生を卒業したときにわざわざフランスに行く必要がないですよね。高校生からまおねーは日本に残ってるほうが自然ですし、真田家に居候はその時からの方がしっくりきます。更に物語後半まおねーは真田家を後に引越しをします。絶対おかしいですよね。一人で日本に帰るのは心配だから真田家にお世話になるのが条件であったはずなのに、親御さんはそれで納得するんでしょうかw

次にまおねーを語る上で欠かせないのが原作にある「まおねーの初恋は光一であり、その想いは未だ継続中」を無くしてしまっている事です。当初この設定をなくしたのは、だんだんまおねーが光一の事を好きになっていくパラレルワールドならではの面白さに繋がると思っていました。ですが残念ながらこの設定を削ってしまった為にまおねーの行動には一貫性がなくなり、結果大多数の人から「行動が刹那的な女」というレッテルが張られてしまいました。ホントに可愛そう。



もうお分かりかと思いますが、まおねーが最初から光一の事を異性として気にかけている事が視聴者に伝わっていれば、全編通してまおねーの行動に納得ができた上でラストを迎える事ができたんだと思います。まおねーが光一の事を好きでいて、それでも「光一が自分の事を好きなはずはない」という気持ちを持って、光一とゆーみの事を応援していれば…。

ゆーみと一緒に居る光一を見てだんだん光一の事が好きだった事に気が付くまおねー。ですが彼女自身の好感度を低くしないように上手く物語の中で光一と結びつけるには絶対に欠かせない事があり、それが最終回のまおねーと光一の歩道橋シーンでの告白に繋がっています。
それは「まおねーの告白はあれが始めて」であるということが大条件でした。「ようやく言えたね、まおねー!」という耐えたまおねーへの応援と、それ見たことによってカタルシスを視聴者が得るには、物語中盤逆ギレして光一に告白したまおねーをなかったことにするしかないです。あのシーンがあったせいで私は続・purerouge雑感その1で書いた通り、この光一ルートは全滅話だなと思ってしまいました。これを回避させるために必要な要素は存在していたはずなのに、何故それをやらなかったのか。甲斐くんという存在が居たのに。
まおねーが光一への想いを隠し通し、それでも光一がまおねーの気持ちに気が付く為にはどうしても甲斐くんが悪役になるしかなかったと思います。というか、この場合悪役でもなんでもなく美味しいキャラだと思いますが。ところが甲斐くんを通じてまおねーの気持ちを知るのはなんと最終話。そしてそれ以前にまおねーは自分の気持ちを光一にぶつけてしまっています。そりゃ甲斐くんの「余計な事を言ったな」はどう考えても余計。順番反対っしょこれw

purerougeのまおねーはともかく刹那的に動くキャラでした。リアルと言えばリアルなのかもしれませんが原作キミキスのまおねーは断じてこんな性格ではありません。それを差し引いてもアニメのまおねーの行動はあまり良い感情をもたれないのではないでしょうか…。それでも最終回のラスト直前まではそれなりに好感度持ち直してたのに、光一がしっかりしていないことと、甲斐くんとゆーみがあまりに「いいひと」として描かれてることが災いして余計に彼女のランクが下がった気がします。製作者はまおねーに恨みでもあるのかな…。

最後に原作のまおねーを気に入っていた池澤春菜さんはどんな気持ちで演じていたのでしょう?まおねーに罪はないです。これはまおねーを陥れようとした脚本に問題があります。上手くやればあのラスト、感動で涙いっぱいの演出だったのに…。勿体無いお化けが出るぞー!?




■星乃結美
このアニメ化で二番目に不幸になったキャラクターがゆーみです。まおねーと違い彼女の場合は物語では不幸になりましたが、キャラとしての好感度をあげたのは間違いないですけどね。故にあのラストは腹立たしいかもしれませんが…。

それではゆーみのキャラ作りはどうだったでしょう。原作の通り働いていたでしょうか?答えは「イエス」。多分ゆーみほど原作を尊重したキャラ作りをされた子はいないでしょう。しかしここにも落とし穴がありました。ゆーみは原作のままの動き方をしてしまったため、このハードな脚本に彼女の性格がおいつかなったんです。それが視聴者にストレスを与える原因になりました。彼女に罪はないのですが、物語としては光一を振るのは彼女の使命であったと言えます。
1話からすでに光一×まおねーは確定事項だろうと思っていました。しかし12話のゆーみの転校話をきっかけにその意識は変わり「ああ、この話ゆーみルートだったんだ」と思い始めるようになりました。ところがまおねーの光一への告白を見てさらに自体は一変します。「おいおい、これ全滅コースだぞ…」と。で、どうなったかと言うと最終的に光一×まおねーという当初の予定通りなカップリングで幕を閉じました。あれ?なんかおかしいぞ、コレ?って思いますよね。ここで重要なのが全滅コースを回避し光一×まおねーというカップリングを納得させるための要素です。それがゆーみが光一を振る事、正確には終わらせることでした。最後まで受身だったゆーみは、視聴者の「星乃さんは怒ってもいいんだよ!」的な想いを実行する事ができなかったということです。こんな悲しい性格部分だけを原作通りにしなくてもいいのに…。

ゆーみの描き方の問題点は数多くあり、とくに最終回のラストシーンがそれに明確に物語っていると思います。振られた人間の一番辛いのは涙を流せない事。そして二番目に辛い事はその辛さをぶつける友人が存在しないことです。ゆーみは最後まで泣きませんでした。これは本当にゆーみが成長した証なんでしょうか?自分はそうは思いません。ラストのゆーみは、光一とまおねーを祝福させるために敢えて無理やり強い人間にさせられただけです。完全に脚本のミスですが「星乃さんはもう泣いてもいいんだよ…」という思いをこれまた見事に無視しています。そしてそれを受け止める要素こそが祇条深月ことおじょーだったのですが…。おじょーがここでゆーみを受け止めていれば彼女の存在理由は明確になったと思います。ゆーみの良き理解者で親友というポジションを得らることで彼女はpurerougeに必要不可欠なキャラに昇華したはずです。まぁ、このポジション原作通りなら栗生なんですけどねw

まとめますと、ゆーみは光一とまおねーの物語に都合のいいように利用されただけです。その場その場で普通の人間ならキレそうな場面でも、素晴らしく綺麗に立ち振る舞った彼女。その結果がこれです。ゆーみ役の小清水亜美さんに「何も言葉はありません」と言わしめた最終回。せめてゆーみにも何かを残してあげたかったですね…。




■甲斐英二
アニメオリジナルである彼はかなりイイ男として描かれております。ぶっちゃけ、このpurerougeは彼の成長物語といってもいいぐらいです。でもそれってどうなんでしょうか?オリジナルキャラを優遇しまおねーのような原作キャラを間違った方向に改変しまくる…。うーん、製作者は何がしたかったんでしょうか。甲斐くんの扱いはゆーみのキャラ作りとかなりリンクしてますので、引き続きゆーみの話題も多数入ります。それを踏まえて一つのシナリオとしてキミキスであることを関係なしにこの甲斐くんというキャラを分析してみようかなと。

甲斐くんは物語当初では心を閉ざした少年でした。自分の夢の為に突き進むが、それ以外の事には興味がない振りをして係わろうとしない、「何から逃げている」キャラでした。ですがまおねーと出会い少しづつその目を外の世界に向けていき、その手助けをしてくれたまおねーの事を好きになってしまいます。ところがまおねーが甲斐くんに拘ったのは、受験と夢いう問題に一緒に悩むことができる友人が欲しかったからです。このチグハグ感のせいで甲斐くんが「水澤はオレの事が好きなんだ」というおかしな妄想を抱いてしまったのですね。最初からまおねーは甲斐くんの事を恋愛対象としてみてはいなかったのですが、光一がゆーみと仲良くなってしったことが悲しくなった時に一緒に居てくれた甲斐くんを好きになろうとしたわけです。こうやってみると1クール目の甲斐くんとまおねーはどっちもどっちというか…。
甲斐くんが良キャラに化けたのは2クール目からなのですが、彼もゆーみと一緒で物語の都合のいいように作られたキャラにすぎません。そのおかげで好感度は高いけど視聴者が望む行動をしてくれなかったと思います。それでも甲斐くんとまおねーの別れはシリーズ構成の中で余裕をもって行われたのが幸いし、別れた後の甲斐くんの「水澤なしでもやっていける」という成長を上手く表現できていました。ここがゆーみと違ったところで、なんでオリジナルキャラの甲斐くんがこんなに優遇されて、原作のメインヒロインであるゆーみがあんなラストなのか今更ながら腹が立ちますね。

話を戻しますが、甲斐くんの役割とはまおねーの説明で言ったように「もっと話を混乱されること」でした。まおねーが光一を好きだということを光一に気付かせるのは彼の役目であったはずなのに。最後まで彼とゆーみは「いいひと」で終わらされた事で「こんな出来た人間いないよ!」というストレスが溜まってしまったわけです。ただ甲斐くんとゆーみが決定的に違うのはゆーみは最初から「いいひと」であり、甲斐くんは振られた事で「いいひと」になったということです。これによって甲斐くんには振られることで成長するという要素が生まれるのですが、ゆーみはそれがありません。やっぱひどいよね、この構成。

最後に彼は必要あったかどうかという話になります。キミキスを関係なしに物語のレギュラーとしては彼は必要だったのではないかとは思いますが、上記のように余りに「いいひと」として作られた為に逆に居なくてもいいんじゃないかと思ってしまいます。うん、甲斐くんはいい男でしたが、やはり物語に直接係わらないので居ても居なくても同じだったかもしれません。あ、それでも私は甲斐くんというキャラ自体は好きなんですけどね。

ちなみに、彼がサックス奏者になりたいという設定はもっと掘り下げていかにもキミキスがサブカルチャー的な要素を含んでいるオサレアニメなのかをもっと前面に押し出せば、この物語が一体何をやりたかったのかを表現できたかもしれません。恋愛以外の部分は全てにわたっていい加減に描写されているpurerougeですが、甲斐くんと音楽のテーマが一番放置されていたのが勿体無くて仕方ないです。だって看板出してるか、掃除してるかだけなんだものなぁw




以上が光一ルートで自分が全編に渡り納得できない部分です。あとちょっと修正するだけでしっかりとした物語になるのに、なぜそのちょっとが出来なかったのかが悔しいですね。ちなみにこれを書くにあたって流し見でもっかい本編みましたよw
別れの物語という意味では光一ルートはアリだと思います。ここで書いた事は私の個人的な事なんで、もっともっといい方向に持っていくシナリオがあるかもしれません。それでも本編見直してこのぐらいは当然だろう?という部分を書き殴ってみましたよ。もしかしたら名作にだってなり得たのにネ!バカだネ!!
雑記&イラスト -
2008.03.31 Monday :: - :: -